2月3日の節分の日に「春呼ぶ朗読会」が開催される。私の参加する朗読グループ「秋桜の会」の発表会である。詩と童話の朗読の他に、節分にちなみ、4つの鬼の話が取り上げられた。その中で、私は西澤實作『へんな本』より「東京の鬼」を朗読することになる。

さて、朗読する上で大切なことは「伝えよう」という気持ちである。一生懸命に作品を読み込むことによって、状況を理解していく。

そして、伝えるためには、「声」を使い分けることが大事だと思う。たとえば、「東京の鬼」の登場人物に三味線弾きの女の人がいる。浅草の観音様に「三味線弾きの鬼にしてくださいまし」と拝んでいるのだが、少し高い色っぽい声にしてみよう。声に出してみるとなかなかいい。もっともっと艶のある声をと欲張りになっていく自分がいる。一歩作品の中に踏み込んでいくようでうれしい。主役の赤鬼は、思い切って低い「だみ声」で話してみる。声を出しているうちにだんだんイメージもできてくる。

 また、「東京の鬼」は江戸っ子の調子で、講談調か落語調で読んでみるといいというアドバイスもいただく。「行ってみますてェと」などの言い回しが出てくる。普通に読むより落語調で読んでみたいと思って、落語をいろいろ聴いてみる。落語の名人は間の取り方が絶妙だ。落語を聴くことは朗読にとって、大事な勉強である。実際、落語の「時そば」を教室で朗読したことがある。登場人物の性格描写や間の取り方、そして台詞の部分ではない地の文は、解説者として読むなどの変化をつけることを合わせて学び、会話の楽しさを味わったことを覚えている。

 文を江戸っ子の調子で読むには、語尾を短く切ることも効果的だ。文中には、節回しを入れるところ、リズミカルにたたみかけていくように朗読する部分もある。言葉をつぶだてることによって話が生きてくる。少しずつ聴き手に伝わっていく感じを味わいながら、読んでいく。

また、俯瞰することも大切なことである。朗読している自分をもう一人の自分が見ている状態も必要で、あまりのめりこみ過ぎてもいけない。

一つの短い作品の中でも、たくさんのことを教えていただくと、まだその入り口に立っているのだが、朗読とは実に深いものだと思う。

 実は、この練習中にNHK日曜名作座のCDで、宮澤賢治原作「土神と狐」を聴く。出演の森繁久彌さんと加藤道子さんの朗読が本当にすばらしい。聴き手の想像力をかきたてる。話の中にぐいぐい引き込まれていく。この感動が忘れられない。思い出すと「よーし、がんばろう。工夫してみよう。」という気持ちが強くなってくる。

 朗読は、作品を自分で演出、監督までしていくことができるもの。封切りになるその日まで練習は続く。朗読の楽しさを伝えるために。