私の母は86才まで元気に自転車に乗っていたが、腰が痛み出してから、食欲も減り、急に痩せてきたように思う。寝起きが辛そうな母の姿を見て、いままで元気に私たちの世話をしてくれていた母が変わっていくことに、老いという現実と向きあわなければならないことを改めて実感する。

そのうち母が、眼がよく見えないという。年齢のためだろうと思っていたが白内障であることがわかる。眼科の先生からは、治す手段は手術しかなく、年齢的にも最後のチャンスであると告げられる。母は「もう年だから、手術はいいよ。」と否定的に言う。私も正直、躊躇する。

しかし、「最後のチャンス」という言葉にやってみなければわからないと思い、主人とも相談し、思い切って手術することに決める。

 手術は、最初に右眼を、2週間後に左眼を日帰りで手術することになる。当日、右眼の手術が終わってから、母は眼帯を取ってしまって、私を慌てさせた。

手術を受けることで心配だったことは、体調の変化と同時に物忘れが進んでいることだ。検査の結果は、認知症ではないと言われたが、症状がそれに近い。今話したことを瞬間的に忘れる。覚えていてほしい大切なことも悲しいことに忘れてしまうのである。

 次の日、眼科での検査後、右眼は1.2の視力がでる。前は0.3だったそうだから、どんなに母の世界が明るくなったことか。私は本当にうれしかった。術後、感染しないように先生から眼に水を入れないこと、そして眼をこすらないことをくれぐれも気をつけるようにと説明を受ける。何とか無事に手術の済んだ眼を大切にしたいと思う。

 母の様子を見て、私の4年生の孫が「ひいおばあちゃん、よく見えているんだね。花の葉のすじのことを言っているよ。今まで言ったことなかったもの。」とびっくりしている。子供というものは鋭いと思う。何気なく言っている「言葉」をキャッチしている。私たち大人が忘れている感覚かもしれないと感じた。

四六時中、いつも母についているというわけにもいかない。「目をこすらないようにするにはどうしたらいいかしら。」と言ったら、「見えるのだから「めはこすらない」と書いて貼っておこう。」と白い紙に7枚も書いて貼ってくれる。ひいおばあちゃんのために自分のできることを一生懸命しようとする気持ちがとてもうれしい。字と一緒に描いてあるめがねは、私の度なしのめがねである。少しでもこすらないようにと母にかけてもらう。それでも、レンズの下から指を入れそうになる。

「あー、だめ、だめ。こすっちゃだめでしょう。」とつい大きな声をあげて、きつく言ってしまう自分がいる。なんで静かに優しく言えないのだろう。無事にこの時期を乗り越えなければという思い、母に良くなってほしいという思いとは裏腹に、これだけ言っているのにと忘れてしまうことの繰り返しに対して、ストレスを感じている私なのだ。まだ母を受け入れていないのかもしれない。忘れるということは病気なのだ。病気が母をそうさせているのだと、頭ではわかっているつもりでも、一杯一杯で、気持ちにゆとりがなくなる。介護をしている人たちの気持ちが少しわかるような気がする。

母も私に対して、「そんな大きな声を出すものじゃあない。」と言う。母だって、ふつうだったら、娘にこんな言い方されたと、ストレスがたまってしまうだろう。母にとって、忘れるということも幸せなことではないかと思う。逆に言えば、私にも救いになっていることなのかもしれない。

左目の手術も無事終わり、検査の結果、左眼も1.2の視力が出る。本当にほっとする。これで両眼がよく見えるようになり、これからの母の世界がもっともっと明るくなる。母がぽつりと「今までご苦労だったねえ。」と言った。私たちの手術の決断はよかったとしみじみ思う。

そして、眼が良くなってからの母は、とても元気になっている。食欲が湧いて体力がついてきたことを感じる。見えるからいろいろなことによく気がつき、行動的である。やらないでほしいこともやってしまう。たとえば、畑のキュウリやピーマン、トマトをもう少し大きくなってから採ってほしいのだが、私たちがいないときに、いつのまにか採ってきてしまう。何度言っても同じである。

今では、これも笑って「しょうがないね。」と言える私がいる。笑える私には、ゆとりがもどっている。88才になる母を受け入れる心の余裕が大切だと感じる。

平常心でいること、そして自分を客観的には見ることは非常に難しいことだと、母の介護を通して経験する。私はそんなとき「呼吸」を大切にしていこうと思う。繰り返し「息」を深く吸って「吐く息」を長くする。

それが、私の心のゆとりに繋がっていく。