行徳では、毎年3月に寺のまち回遊展が行われているが、今回で10回目を数える。平成29年の春、私たち「朗読グループ秋桜」も参加することになり、妙覚寺において地元行徳に伝わる話を朗読した。

 私は、『市川のむかし話』から「常運寺のお祖師さまと勝姫竜神」を朗読する。「常運寺縁起」によると、お寺の本尊である「読経日蓮大菩薩像」は、中山法華経寺境内祐師山(ゆうしやま)というお堂に安置されていたものである。

歴史は400年ほど遡る。小田原北条氏が滅んだとき、家臣の野地兄弟が、北条氏直の姫である「五ノ姫」をかくまいながら、行徳まで落ち延びてきて、供養のために庵を建て、五ノ姫を「お勝さま」と呼んで大事に育てていた。

二人の兄弟のうち、兄の方は野地久右衛門といい、大変信心深く、中山法華経寺に毎日お参りに行っていたところ、祐師山に奉られていた木造のお祖師さま(日蓮上人)から「お前の住んでいるところへ行きたい」とお告げがあったのだ。

そこで、法華経寺住職にこの話をしたところ、最初は断られたが、「金銅の大仏を奉納すれば引き換えに与えよう。」と言われ、久右衛門は喜んで金銅の釈迦大仏を造った。そして、久右衛門の念願叶って、お祖師さまは常運寺に大切に奉られることになったのである。このご縁から、常運寺は中山法華経寺に向けて建てられ、法華経寺の裏鬼門を守る寺なったそうである。

ご住職に、野地久右衛門は、本行徳4丁目の野地金物店のご先祖であると教えてもらう。野地家のお墓参りの際、墓碑に書かれていた久右衛門の僧名「常運院日信」の名前が目に入った。

 実は、常運寺は私の家の菩提寺であるが、縁起について今まで全く知らなかった。朗読がきっかけとなり、知り得たことである。私が回遊展で朗読した時に、何か見えない力で「朗読する」という不思議な感覚を覚えた。お祖師さまの力に動かされたのかも知れない。

ところで、まだ、中山法華経寺に行ったことがなかった私は、常運寺のご縁からも一度は訪れてみたいと思っていた。それが朗読を終えた4月半ば過ぎ、偶然にも恩師から中山法華経寺の案内地図が届き、私は早速訪ねることにした。

祖師堂にお参りし、遙か彼方、野地久右衛門が日参した日々に思いを馳せる。物語に織り込まれた久右衛門の人生を思いながら、野地久右衛門の話や常運寺の縁起に出会うことができたことは、必然だったのではないかと思えた。

<参考文献>  『市川むかし話』 市川民話の会 編集発行「常運寺縁起」