数年前、国府台女子学院の元教諭であった土屋邦子先生から、卒業生に金子みすゞの詩の朗読をする方がいることを伺っていた。私も金子みすゞの詩が大好きで、ぜひ公演を聴きに行ってみたいとお伝えしたところ、武本行生先生の教え子とのことであった。

武本先生は、国府台女子学院元副学院長であり、早速電話をしたところ、快くご紹介くださった方が小松久仁枝さんである。

小松さんは、とても声がきれいで、朗読をする方の声を初めて耳元で聴いた。直近であれば、金沢で松尾芭蕉の「奥の細道」の朗読があると教えていただいたが、とても金沢まで行くことはできない。

またの機会にと言いかけたとき、小松さんが南行徳で朗読を教えていると言う。何と私の最寄り駅から二つ先だ。一度、どんなものか体験してみてはどうでしょうと言われ、うれしさが込み上げてくる。ここで朗読に結びつくなんて、思いもかけなかったからだ。朗読の講習があったら、受けてみたいという思いがずっとあり、2ヶ月ほど前に、朗読のボランティアをしている友人にも頼んでいたところだった。思いを言葉にしていると、実現するというのはこういうことなのかと耳を疑ったくらいだ。

朗読グループの名は「秋桜の会」である。とてもご縁があって、会のメンバーの一人である若井富士子さんは、同級生のお姉さんであり、遠縁に当たるのだ。これにはびっくりする。そして、小松さんとは、国府台女子学院は仏教の学校なので礼拝委員というものがあるが、これも同じ礼拝委員をしていたこと、その上、何とバーレーボール部の先輩でもあることがわかり、こんなに身近に感じられる方だったと思うと本当にうれしくなる。この他にも、いろいろな繋がりがあることが後に見えてくるのだが、これは偶然ではなく、必然なのかもしれないと思う。

さて、7月に朗読の体験をする。私が金子みすゞの詩の暗誦をしているということで、金子みすゞ詩集からの詩を取り上げてくださる。詩の朗読では、間をあけることや、たとえば文の頭に「お米、牛、鯉」と同列に並んでいても、同列には読まない。単調にならないように音を変えていくのだそうだ。

今までは、詩を覚えることに集中して、まったく考えていなかったことに気付く。詩によっては、心弾ませながら明るくにっこり読むもの、のどかな気持ちで読むもの、詩の中に気持ちを込めて強調する言葉がある場合や、あるいは詩を心の中に描きながら、言葉の響きや余韻を残すためには、1拍置いて間をあけることなど、短い詩の中にたくさんちりばめられていることを教えていただく。そうして、詩の心を深めていくのだなあと思う。

8月から「アエイウエオアオ」という口の体操や早口言葉を実際にやってみると、難しいものだと実感する。朗読は地声でいいのだそうだ。2人ずつ組になり、離れて立ち、相手に声が届くようにおなかから声を出しての発声練習もする。

鼻濁音や「ぬすみ息」といって止めないで間を少しあける間のやり方などもある。物語は一度素読みをして、その後は、登場人物のイメージや声を統一する。そして、読み方では、ゆっくりと読むところ、スピードを出すところなど緩急をつけることが大切なのだそうだ。難しさを感じながらも、一つひとつ学んでいくことが楽しい。

また、入会したときに、「秋桜の会」に10月23日と24日に開催される「南行徳街回遊展」参加の話があり、「ふるさとの民話を訪ねる朗読会」をすることになったのだ。これもまた思いがけないことである。

私たちは、「行徳・南行徳に伝わる話」、そして「詩に遊ぶ」ということで詩の朗読も行うことになる。

朗読の発表という私の初体験は、「ゆうれい畑に何がでた」という明治20年頃の話で、私の近所の久吾という家にお嫁に来たおすいさんが登場する民話である。

この民話は全体的に遊び心で読むこと、そして、伝え手になったつもりで読むことをご指導いただいた。練習で聞き手になってくれたのが、保育園年長の下の孫である。孫は自分の座る周りに、観客としてクマのぬいぐるみを一杯並べてくれた。それがとてもうれしい。そして、最後までじっと聴いてくれた感想は、「おもしろいね。」だった。

また、私は久吾の家を訪ねて、おすいさんの孫や曾孫にあたる方々に話を伺う。そして、お孫さんからお借りした「ぎょうとく昔語り」という本がある。

昭和54年から「行徳昔話の会」の会員の方々が、土地のたくさんのお年寄りを訪ねて聞き取りをされた。そして、語る言葉でそのままに記録したものを集めて、最初はガリ版刷から始め、ついに1冊にまとめて刊行した本である。「行徳昔話の会」の会員の方々の地道なすばらしい活動とご苦労が実って、この貴重な本ができたことは本当にありがたいことである。

なお、本の表紙のイラストは、曾孫の高橋敦子さんが描かれたものである。私が朗読した中に、猫が後ろ足で立ち、手ぬぐいをもって「かっぽれ」を踊るという下りがあるが、実にぴったりである。また、会のメンバーである木下由美子さんが、三味線で「かっぽれ」を弾いてくださったことも大変好評であった。

後に「行徳昔話の会」の会員の方々から、数冊しか残っていないこの貴重な「ぎょうとく昔語り」を1冊いただく。本当にうれしく、多くの人に読んでいただき、また、役立てたいものだと思う。

詩の朗読は、中原中也の「一つのメルヘン」と「汚れっちまった悲しみに」である。

中也の詩「一つのメルヘン」では、心の澄んだ純なメルヘンの世界に入っていくように、そして、「汚れっちまった悲しみに」は、対照的に、デカダンな世をうらむ中也が、自分を突き詰めて変化していく気持ちをつくる。中也の心の中に入るような気持ちでというアドバイスをいただいたが、元気な中也になってしまった感がある。

こうして、初めての発表が終わったが、南行徳街回遊展に足を運んでくださった方々には心から感謝したい。

そして、朗読のスタートラインに立ったわけだが、99歳まで生きた明治生まれの祖母が、私が小学校から帰ってくると、国語の教科書を必ず読むようにと一生懸命に練習させてくれた。ここに私の朗読の原点があるような気がする。間違えないようにということを祖母はいつも「ない字を読まない」と私によく言ったものだ。祖母の笑顔がなつかしい。

これからどんな作品に出会えるか、とても楽しみである。