昨年5月末、私は「宮澤賢治の世界〜大震災後に賢治をどう読むか〜」という講演会に参加した。早稲田大学校友会船橋稲門会の講演会である。私の中学時代の恩師青池國晴先生が会の役員をしていた。早稲田大学講師の濱田英作氏による講演会で、私はここで改めて宮澤賢治について学び、また賢治を身近に感じることができた。青池先生のこのご案内が、私を新しい世界に出会うきっかけをくれたのだとしみじみ思う。

講演会では、1枚のチラシが配られた。柴川康子さんの「語りの会」の紹介だった。柴川さんは、詩の朗読や宮澤賢治の作品を語る方で、年に2回、江東区の清澄庭園内にある「涼亭」で「語りの会」を開催している。6月に開催予定の演目の中に、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩があった。講演を聴いた後の私には、ぜひ聴いてみたいという思いと、語りというものに興味があったので、娘と2人で出席した。

夕日が落ちていく中で聴いた詩の朗読はとてもすてきだった。そして、盛岡生まれの柴川さんの宮澤賢治の童話「虔十公園林」では、いつの間にかやさしい訛りのある語りの中に引き込まれて、涙が止まらなかった。最後の「雨ニモマケズ」の詩の語りも私の心にしみた。

「語り」については、以前、樋口一葉作「十三夜」の「ひとり語り」をされる熊澤南水さんの舞台を見たことがある。心から感動し、驚いた。どうして、物語を1冊すべて覚えられるのだろうかとずっと不思議に思い続けていた。

年齢を重ねるごとに、物忘れが多くなっていく毎日。今になって覚えるということは、無理なことに挑戦するように思えた。しかし、柴川さんの語りを聴いて、私も「雨ニモマケズ」の詩の暗誦をしてみようと思ったのだ。何度も繰り返し覚えた。覚えてみると、長い詩だと感じていたのものが、だんだん短いものに思えてきた。

夏休みが過ぎた頃、職員同士でランチをしながら、詩を覚えているという話をした。すると、後輩の戸塚さんが「1つじゃなくて、ほかの詩も覚えてみたらどうでしょう。」と言ってくれた。

私も短い詩ならば覚えられるかもしれないと、高村光太郎の「道程」を覚えてみた。ユーチューブで検索をしていたところ、4歳の女の子が「道程」を暗誦しているのを見つけてびっくりした。私の孫もちょうど4歳になっていた。一緒に遊んでいるときに動画を見せたところ、自分で何度も画面を出して、詩を覚えてしまった。詩の終わりに女の子が「にゃあ」という猫の鳴きまねをしていたら、それも一緒に覚えると、2歳の妹もそこだけ声を合わせて「にゃあ」と言う。微笑ましい光景だ。おじいちゃんが「だれにならったの?」と聞いたら、「たかむらこうたろう!」と言ったそうだ。みんなが大うけしたという話もあった。

さて、私が次にどんな詩を覚えようかと迷ったとき、心から感動した詩や1部のフレーズだけ耳に残っている詩から覚えようと考えた。記憶にある詩の1部からは、入りやすいし、覚えやすい。そして、詩を覚えるまでには、詩人の生涯もいろいろと調べ、私なりに詩人にふれて、詩に向き合うことになる。詩の持つ意味を考え、ただ覚えるのではなく、その思いをどう受け止め、伝えるかということも大切だと思う。こうして、次第に情景が浮かび上がってくる。

また、宮澤賢治、高村光太郎、島崎藤村、星野富弘、北原白秋、萩原朔太郎、村野四郎、与謝野晶子、金子みすゞの詩にふれる機会を、私に与えてくださる方々がいる。詩の暗誦は、その方々への感謝でもあると思う。教えてもらった「詩」が、心の中で「私の声」になって膨らんでくる。

高校時代の恩師石松丹吾先生からいただいた年賀状に、「賢治の「永訣の朝」はすばらしいです。」と書かれていた。確かに、石松先生の国語の授業だった。臨終の床についている賢治の妹とし子が兄に頼んだ「あめゆき(みぞれ)をとってきてください。」(あめゆじゅとてちてけんじゃ)石松先生の声が聞こえる。今、高校で習った「永訣の朝」を暗誦し、詩に向き合えたことは偶然ではない。私にとっては必然だったに違いない。

そして、最初に「雨ニモマケズ」の詩を覚えたとき、思いついたことがあった。私は大学の事務職員だ。私たちの大学には、1年生の授業で「研究基礎」という授業がある。大学に入学して何もわからない新入生に、これから大学で学んでいくために必要なことや大学生活など、1クラスを担当の教員と先輩の学生と職員とが一緒になってサポートしながら、学生たちと関わっていく授業である。その1年生最後の授業の時、私は宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩を暗誦して、学生たちにプレゼントしようと思った。最後の授業は、1月半ば過ぎだから、まだ半年もある。何とか忘れないようにしなければとひそかに思っていた。その日が来た。26人の1人ひとりの学生たちの長い人生の中で、「雨ニモマケズ」の詩が心の中に残ってくれて、いつか思い出すことがあったならば心からうれしいと思う。

こうして、詩の暗誦は私の生活のリズムに加わった。