4月末、茨城県龍ヶ崎市に住む伯母のところにたけのこ掘りに行った。初めて孫たちも連れて、家族や妹夫婦で10名ほどの人数になった。私たちに加えて、従兄の博さんの知り合いも、子供連れで来ていたから、本当ににぎやかである。博さんや奥さんの悦子さんは、3歳の孫も連れて、みんなで一緒に裏山にでかけた。

家の後ろの小道を行き、山道を少し登ると竹藪がある。私はいつもここに来ると、京都の竹のある風景を思い出す。竹の間を吹きぬける風とさらさらという笹のハーモニーが私のお気に入りだ。

さて早速、用意のいい人たちは、長靴をはき、軍手をする。子供たちにはスコップ、大人は鍬を持ち、たけのこを探して掘っていく。大きく顔を出しているたけのこよりも、ほんの少し頭を出して、土の中に埋まっているたけのこが柔らかくておいしいのだ。地下足袋を履いて、足の裏に当たったたけのこを掘るのがいいらしい。

そして、掘ったたけのこは袋に入れていくのだが、あまりたくさん入れすぎると重くて運ぶのに大変だ。ほどほどに入れて、それも袋を引きずっていくのが、たけのこを運ぶコツだと博さんに教えてもらった。鍬を持つ私の主人は、汗びっしょりだった。たぶん、みんな次の日は、腕が筋肉痛になったに違いない。

5歳の孫もママと一緒にたけのこを掘って、一生懸命運んでいる。下の3歳の孫は、ペットボトルのお茶を抱えて、みんなに配って歩いていた。小さいながらに人に何かをしてあげたいという気持ちがとてもうれしい。

竹藪に子供たちの大きな歓声が上がった。なんと孵化していたカブトムシの幼虫を見つけたのだ。私は始めて幼虫を見た。とても太くて白い大きいものだった。昆虫の好きな男の子は、たけのこ掘りよりもカブトムシがここにくる目的だったらしく、昆虫の本まで持ってきていた。私の孫たちもカブトムシをもらってきて育てるそうだ。

博さんには、竹藪の中のめずらしい草花も教えてもらった。浦島草といって、細い紐が伸びていて、浦島太郎が釣りをしているかのようにみえるものだった。これは、悦子さんがサトイモだと思って、水栽培をしていたら、なんと浦島草だったそうで、家に戻ってから実際に見せてもらった。

たけのこ掘りが終わってからお昼をごちそうになったが、悦子さんは本当に料理上手だ。たけのこのご飯、天ぷら、煮物、サラダ、味噌汁とたけのこ尽くし。たけのこの新鮮な素材を生かして料理している。たけのこは堅いというイメージのある私には、柔らかいたけのこは感動ものだった。苦みがないし、生でお刺身にしても食べられる。味付けは薄味だが、返ってたけのこ本来のおいしさが生かされていた。

ところで、ちょうど21年前になるが、やはりここにたけのこ掘りに来たことがあった。当時、小学1年生だった私の娘が、崖のところでコツコツと1本のたけのこを掘っていた。あきらめないでずっと掘っていたので、その努力にみんなが驚いたものだった。掘ったたけのこを家に帰ってから重さを計ってみたら、なんと10キロもあったのだ。私はこの日、2枚の思い出の写真を持って行った。1枚は、娘が掘った皮付きのままのたけのこを私の祖母が支えて、曾孫の私の娘と一緒に撮った写真、そしてもう1枚は、皮をむいた後のたけのこを私の母が持っている写真だ。

その頃、私の家は4世代同居だった。4月29日は、ちょうど私の祖母が99歳で亡くなった命日だったが、このたけのこを堀りに行った日もなんと偶然4月29日だったことが写真の日付で分かったのだ。娘と話していて、お互いにびっくりした。本当に何か不思議なものを感じる日である。まもなく嫁ぐ娘にとっても、幼い日と同様、いい思い出の日となったことだろう。

私の母は、龍ヶ崎から30分ほどの利根川のほとりで生まれ、兄と三姉妹の四人で育った。この日は久々に80代の3人姉妹が勢ぞろいした。母は3姉妹の真ん中である。年を取ってもこんな風に姉妹で揃って元気で会えることは、とてもうれしいことだ。並んで座っている姿はなんとも微笑ましい。伯母や母たちは、この日、私たちがたけのこ掘りに行っている間、お茶を飲み、積もる話をしながらゆったりした時間を過ごした。

私たちは、その後、母の実家にも寄った。母の実家は、昔はよしずの製造もしていたが、今は主に米を作っている農家である。ちょうど田植えの忙しい最中ではあったが、従兄たちが歓迎してくれた。ここでも栽培しているそらまめやさやえんどう、スナップえんどう、水菜、そしてチンゲンサイの収穫をさせてもらい、みんなで楽しんだ。母や叔母は、収穫となると、農家だったから、作物を作っていたときの血が騒ぐらしい。さすが昔取った杵柄である。熱のこもった収穫姿には、80代とは思えないたのもしさを感じた。

そして、孫たちが大勢の親戚の中で、初めて出会った子供たちと楽しく遊んだり、普段できない経験ができたことはとてもよかったと思う。

竹の根は地下を這っていく。丈夫なその根に人との繋がりを強く感じる1日だった。

相田みつをさんの「自分の番 いのちのバトン」という詩の中に、「父と母で二人 父と母の両親で四人 そのまた両親で八人 こうしてかぞえてゆくと 十代前で千二十四人 二十代前では――? なんと百万人を越んです」とある。数えきれない命があって、自分が存在している。そして、「人の根」は「竹の根」のように横にも、縦にも深く深く繋がっていることを忘れてはならないと心に誓った。