どん、どどんどん、どどん、どどん、勇壮な太鼓の音、鹿踊(ししおどり)が始まる。鹿のお面に鹿の角、長く射したササラと呼ばれる竹をつけ、腹に下げた太鼓を打ち鳴らしながら豪快に踊る。
2018年の夏、宮澤賢治の生まれ育った花巻を訪ねた。花巻では親しみを込めて、宮澤賢治を「賢治さん」と呼んでいるそうだ。賢治さんは、鹿踊をどんなふうに眺めていたのだろう。きっと、まじめな顔でちょっとはにかんで、鹿踊を楽しんでいたのではないだろうか。
花巻温泉の近くにある釜淵の滝まで散策する。ここは、賢治さんが農学校にいた頃、生徒たちを連れてきていたところだ。生徒たちに話しかけるいきいきした会話が聴こえてきそうだ。滝の水の流れに目を奪われ、滝の音に耳を澄ますと、なぜか昔に遡り、賢治さんと一緒に滝を見ているような感覚になる。
そして、賢治さんの大好きな赤いバラの花に出会う。花巻を案内してくれたボランティアガイドの髙橋孝子さんから、その名を「日光」といい、賢治さんが主治医の佐藤隆房先生に差し上げたバラの花だということも教えてもらう。この花は宮澤賢治記念館で出迎えてくれた。
記念館では、童話「セロ弾きのゴーシュ」の特別展が開催され、賢治さんの愛用のチェロや妹トシさんのヴァイオリンも公開されている。賢治さんが、チェロは親友の藤原嘉藤治さんに、そしてヴァイオリンは教え子に渡していたので、戦火を逃れたことも初めて知る。
そして、髙橋さんのお陰で、学芸員である賢治さんの弟清六さんのお孫さん宮澤明裕さんにもお目にかかることができた。思いがけない出会いでとてもうれしい。
また、賢治さんが、やはり生徒たちと来ていた北上川の河岸イギリス海岸では、一緒に旅した小松久仁枝さんと、近くに住む岩淵満智子さんとの再会が待っていた。もう5年も前にこの地を訪れ、イギリス海岸がどこなのかわからなくて迷っていたときに、偶然通りかかった岩淵さんが親切に案内してくれたのだ。岩淵さんは、このイギリス海岸が大好きで、よくこの場所で時間を過ごすという。そして賢治さんの詩「雨ニモマケズ」は、自分への応援歌だと思っていて、どんなことがあっても、この詩を思い出すそうだ。また、高橋さんは、「雨ニモマケズ」を花巻の方言で語ってくれる。私は心が震え、言葉が染みた。
そして、賢治さんの作品を世に出した高村光太郎の山荘まで、時間調整し、案内してくれる。遠くて、行くのは無理だとあきらめていただけに本当にうれしい。
戦争中、空襲に遭った高村光太郎が、賢治さんの実家に疎開し、終戦後、太田村に7年間も独居したところだ。山荘は、夏は虫が入り、冬は吹雪が舞い込む。これは、実際行ってみないとわからないと思う。
この前日には、盛岡出身の語り人、柴川康子さんによる賢治さんの物語「よだかの星」を聴いた。盛岡にある南昌荘には、明治の雰囲気を残す邸宅と緑豊かな庭園があり、静かなうっとりとした時が流れる。広い板間で聴く訛りのある優しい心温まる語りに感動する。賢治さんが中学高校時代を過ごした盛岡、ああ、ここで、柴川さんの語りが聴けて本当によかった。
賢治さんを知りたくて、賢治さんを感じたくて始まったこの旅は、同じ目的をもつ朗読グループ秋桜のメンバー4人の本当にすばらしい旅となる。
まさに「一期一会」という言葉があるが、人と人との出会いは不思議である。花巻で出会った方々から、私は賢治さんが、今もみんなの心の中に生きつづけていることを感じる。そして、賢治さんが短歌を作るきっかけになった「一握の砂」。盛岡では石川啄木を巡り、また花巻では、高村光太郎まで、賢治さんと繋がっていたことを私は初めて知る旅にもなった。
これらすべてが、賢治さんからのご縁をいただいたのだと思う。最後に思いがけなく身照寺で賢治さんのお墓参りまでできたことも限りない感謝だ。
この旅の経験をもとに、賢治さんの作品の朗読を更に深めていきたいと願う。