新樹の会主催による「花まつり」が、4月8日に開催された。その中で、「人生百年時代の手応えのある生き方」という講演を聴く。私はこのタイトルにとても興味を覚えた。

講師の渡邊一雄さんは、三菱電機香港菱電貿易社長を経て、三菱セミコンダクターアメリカ社長もし、退職後は、大学教授や老人ホームの施設長を経験し、東大病院にこにこボランティアを立ち上げた人である。また、現在は三遊亭大王という社会人落語家でもある。何というさまざまな人生経歴を持つ方だろう。
 講演では、世界の最長寿国と言ってもいい日本の高齢者が、果たしていきいきとした目をしているだろうかという問いから始まり、所詮、誰も助けてくれない自分1人の人生をいかに楽しく前向きに生きていくか。手応えのある生き方は、それがフィランスロピー(社会貢献)であることを強調された。企業戦士だった渡邊さんの人生を大きく変えたアメリカでのボランティア経験やフィランスロピー経験について、ユーモアを交えて話をしてくれた。それはフィランスロピーの本質である「為己為人」(ワイケイワイヤン)人のためにすることは、つまり自分のためにすることである。この喜びが、まさに83歳の高齢で、しかも妻子も亡くした渡邊さんのたどり着いた手応えのある生き方であった。

講演を聴いて、その通りだと共感し、とても感動する。でも、実際正直に、果たして社会貢献活動が出来るかと考えると、大変なことだと思うし、何をどうしていいのかわからないというのが本音だ。

しかし、印象に残ったことが、ボランティアとフィランスロピーの違いだった。例えば、魚を食べたいという人に、「魚を与えること」がボランティアであり、それに対してフィランスロピーは、「魚の釣り方を教えること」だと教えられた。すなわち、飢えを自分で補っていく生き方を教えるということである。つまり、民間の力で、ボランティアで社会の歪みを改善していくということがフィランスロピーであると私は理解した。

その人の生きる道を本当に心から考えてあげられることが「社会貢献」なのだと感じた。人それぞれ出来ることは違う。それが当たり前だ。生活があり、経済状態だって違うわけで、だからこそ、智恵を出すか、汗を出すか、物を出すか、お金を出すか、とにかく前に出ないと道をひらけないという言葉に勇気をもらう。「昨日に生きるよりも、明日に生きるよりも、今日に生きたい」という言葉があるが、渡邊さんのフィランスロピーという生き方は、まさに今日という日を大切に生きているのだとしみじみ思う。

もう一度、社会貢献というと難しいが、自分にとってのうれしいことから考えてみようと思う。私も人が喜んでくれると、私も幸せを感じる。私の持っているものは何だろう。私は「笑顔」が大好きだ。笑顔で接することが人を明るくすることに繋がっていく。ときに、知らず知らずのうちに人と人とを繋げていることがある。それがわかったときは、本当にうれしい。そして、私に出来ること、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩を覚えたことがきっかけで始めた詩の暗誦。詩の朗読を通して、人に喜びを伝えたいと心から思う。そして、私たち「朗読グループ秋桜」の活動が、将来、社会の人々に勇気を与える「フィランスロピー」活動になっていくことを念じている。そのためにも今日という日を大切にしていきたい。