令和2年元旦、隣に住んでいる孫の小学5年生と3年生の姉妹が久しぶりに我が家に泊まりに来た。泊まるといっても、いつも寝る前に本を読んでほしいという孫たちにとっては、とても楽しいひとときなのだ。そして、『しっぽのつり』という話を読み終えた後、姉が厚い本を置いてあるのに気がついて、「これは何かな」と尋ねてきたので、「これはね、10年日記というもので、1冊に10年分が書ける日記なの」と教えてあげた。

「じゃあ、去年も、ずっと前のこともわかるの」というから、「そうね、1日に4行しか書けないけれど、去年の今日はどんなことがあったとか、こんなことを考えていたとか、思い出せるのよ」といったら、2人ともびっくりしていた。妹が無邪気に「私も書いてみたい」というが、姉は「そんなの書けるわけがないよ」という。そして、続けることの難しさを子供なりに感じたようだった。

実は、この前に書いたもう1冊の10年日記もある。今年は2冊目の最後の年を書き始めた。19年書いて20年目に入ることになる。

2人は、自分の誕生日を探して読んでほしいという。2人とも1月生まれで、誕生日が1日違いのちょうど2歳違いである。1冊目に姉、2冊目に妹の生まれた日のことが書いてあり、それぞれ読んであげたら、2人は、思いがけなく生まれた日の様子を知って、とても嬉しいと喜んでくれた。そして、孫たちに伝えることのできた感動と同時に、私自身も孫たちに伝えることができた喜びを覚えることができた。

日記には、日々の出来事などを記録する人それぞれの書き方があるだろうが、その頁の上の空白に、例えば誕生日であるとか、結婚記念日や気がついたメモなどを記す。そうしておくことで、何気なく通り過ぎてしまうことにも気付くことがある。それは、人と人との心を繋いでいくために役立っているようにも思う。そして、たとえ会わなくなっても、相手を思うことで、私自身も豊かな気持ちになれるし、癒やされているということになるのだと思う。

孫たちのお陰で、10年日記を書くことの大切さに改めて気付くことができた。これからも日記を書くことで、少しでも人生の深みを感じられたら、この上なく幸せなことだと思う。そして、生まれた日の日記が孫たちの思い出の絵の1枚となることを心から願っている。