仕事を辞めて、半年が経つ。振り返ると、今の仕事のない生活を想像したとき、空いた時間をどのように埋めようかと悩んでいた。時間がありすぎて、困りきっているだろうと思い込んでいたのだ。

 しかし、そんな空間に飛び込んできたものが料理である。今までは、料理や家事一切を母がしてくれていた。仕事から帰ると、もう夕食ができているという生活をずっと続けてきている。

要するに、お恥ずかしい話だが、本腰を入れて今まで料理というものに向き合ったことがなかった。母に甘えて、還暦を過ぎて数年になるまでやらなかったのだ。ときどき、母ができなくなったときのことを考えると、先行きの食について不安になったこともある。そして、ついに母は料理ができない状態になったのだ。86歳まですべてをこなしてくれた母には、あらためて驚きと共に感謝の気持ちで一杯である。友人たちは、もう40年もやっているから、料理はあきあきだ。朝、昼、晩と献立を考えることが面倒だ。できることならやりたくないと声をそろえていうが、今とても新鮮な気持ちで、料理の面白さに目覚めているのである。

もともと、工夫することは好きである。今ここにある材料で、何ができるのか考えることがとても楽しい。材料が足りなくても、代わりに違うものを入れるとか、味付けに失敗したらどう直していこうか、応用することも自由だ。

我が家では、年の暮れになると、いつもこんにゃくと鶏肉の煮物を大鍋で作った。この煮物は、母の味に近い煮物ができあがる。考えてみれば、暮れだけではない、いつもの常備菜に加えておけることもうれしい。庭の畑で収穫したもので作れる喜びや、亡き父が植えてくれた無花果でジャムを作ることも経験する。

そして、筍、ふき、トウモロコシ、ゴーヤなどの野菜やハマグリもいただくことがあり、季節の旬の素材の美味しさを味わう。

また、料理の初心者だからと美味しい料理を教えて下さる方もいる。実際、初めて作ったばかりの料理も、家に飲みに来た近所の人たちにもお試しで味わってもらう。嬉しかったことは、家でバーベキューをしたときに、新しく引っ越してきた近所の若いご夫婦から「料理を家にもらっていってもいいですか。」と言われたことだ。料理を通じての新たなコミュニケーションができあがる。

そして、手作り料理が、毎日の母の食欲を増進してくれることや、母や主人の「美味しいね。」の一言が明日へのうれしい活力へと繋がっていく。