春一番を感じる花は何だろうか。私の勤める大学のキャンパスに1本の河津桜がある。私は、冬の終わりを告げ、春を一足早く知らせる少し濃いピンクのこの河津桜が大好きで、花の咲くのを毎年楽しみにしている。
そして、市川市に隣接する江戸川河口の土手にも「さくらオーナー」によって植えられた河津桜がある。この中に私のお花の先生のお父さんが植えた1本の桜の木がある。
一昨年、東日本大震災があった後、仕事のストレスによって私は落ち込んでいた。夜も眠れなくなり、考えなくてもいいはずの仕事の先々のことを心配し、考えてしまう自分がいた。今までの人生の中で初めての経験だった。仕事が原因なのだから、まず仕事から離れることが一番だということで、4月中旬から職場も休んだ。
そんな自分から抜け出したいと試行錯誤の毎日だった。好きなことをやってみるのもいいだろうと、3月にできなかったプリザーブドフラワーの花材でアレンジメントを作ってみた。やる気の出ない自分だったが、やり始めたら二つの作品を作り上げていた。
偶然、アレンジメントが出来上がったその日の夜に、お花の先生から、「プリザーブドは出来上がりましたか。」というメールをいただいた。そして、後日、ずっとレッスンにも行けなかった私が、予約を入れてレッスンに行った。
しかし、いつもの私ではない顔色や様子を見た先生は、驚いて、どうしたのと尋ねてくださった。実は、ストレスで今職場を休んでいると話したところ、先生は、ご自分が書かれたブログを読ませてくれた。
それは、市川市が平成16年と18年に「さくらオーナー」を募集したことがあり、お父さんが平成16年に植えていた河津桜について書いたブログだった。
大震災後の3月13日、先生のお母さんが知り合いの方から、お父さんが植えた河津桜が、風が強くて散り始めているだろうと話しかけられるまで、知らなかったのだそうだ。
お父さんはもう亡くなられていて、生前にお父さんの会社が市川市の仕事をしていて、桜オーナーの話があり、希望して植えていたことがわかった。早速、家族で妙典小学校の近くの河川敷に植えられた桜を見に行ったそうだ。その桜の木には「いつか人生 花が咲く 七転八起」という言葉が添えられていた。
先生は、大震災の後、余震、建物の崩壊や原発等があって、ブライダルの仕事が延期やキャンセルが相次ぎ、お花の仕事もなくなるのではないかとネガティブな考え方になってしまっていた。しかし、この言葉から「生きていられるのは幸せだ。自分のできることをやるしかないだろう。」と、天国のお父さんから話しかけられた気がしたそうだ。
私はこのブログを読んで、いままで心から泣くことのできなかった私に、初めて涙があふれてきた。私の心が溶けてきたような気がした。先生には本当に助けられ、私は、感謝の気持ちでいっぱいになった。
私が初めて桜の木に会いに行ったとき、花は散り、新緑の葉をつけた季節になっていた。7年前、私の父が亡くなり、その7カ月後に先生のお父さんも亡くなった。この桜の木と向き合った時、私にも、亡き父が応援の風を送り、私の背を押してくれたように思えた。私にとって、新しい一歩を踏み出すきっかけをくれた河津桜は、私の心の中にしっかりと根を張った。